全国のみなさんいかがお過ごしですか。記録にないほど早く明けた梅雨も今になっての連日の夕立。カラッと気持ちいい天気には程遠く…なんだかジメッとしてますね。付知も残念ながらそんな感じです。
さてさて、暑い最中なので散策もほどほどにしなくてはなりませんが、車での旅なら大歓迎・ということで。みなさんは付知町を通る時に旧道に入ったことはありますか??飛騨街道の要所としてS30年代にかけて往来も多くずいぶんと賑わったそうです。
歴史ある町並み
江戸時代は苗木藩領・尾張藩領で豊富な山林に恵まれヒノキの産地として昔から有名でした。時代と共に山林の管理は厳しくなるが、街道は御岳信者の参拝道となり、いつ頃からか宿場町に似ていったようです。記録には、旅籠、料理屋、飲食店、芸奴屋などが建ち、宴に華を添える酌婦も23人いたといわれます。
街道は、近くには中山道、中馬街道。御岳への参拝道、鎌倉と飛騨を結ぼうとした道。などあり、約5キロの旧道のそこかしこに歴史を感じる建物も多く残ります。
旧道を通ってみよう
富山県から延びるR41は、飛騨街道・鰤街道などとも呼ばれ、日本海から海なしの岐阜県への海産物の運搬路でもありました。飛騨街道も諸説ある道ですが、途中から枝分かれした街道は中山道への脇往還道でもあったため多くの往来があったと考えられます。
旧道は付知川の西側で、町内にある6つの信号を西へ曲がり橋を渡れば旧道にでます。
中津川駅方面からなら稲荷の信号を左折して倉屋温泉おんぽいの湯までが旧道です。実際通ってみると感じますが…とにかく長い!!!街道5キロっていうけど国道のほうが走りやすいし早いので、用事がないと通らないですね(苦笑)
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長い長いと進めると…おっと急にY字路が!!
街道にある石碑と建っているのが倉屋観音堂。そこにある説明看板(付知町まち作り協議会文化財保存会)によると、1500年代から世襲庄屋だった田口家の五世忠左衛門よしもりが、郷土の安泰と五穀豊穣を願い宇堂をたて十一面観音を安置したことに始まるとある。当時は田口観音とよばれたようです。以後、追分だったこの場所で往来の人々を見守ってきたんですね。
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宇堂には、十王尊座像・石地蔵尊立像・飛騨道道標・御嶽道道標があり市の文化財に指定されています。明治28年には倉屋追分から木曽王滝村までの参道が改修され、飛騨街道の拡張工事が終わると南北街道と称され県道に編入されました。
現在は街道の賑わいも静まりかえってしまったものの、朝靄の中の街灯がノスタルジックだと写真におさめる人が多いとききます。
これも付知川の恩恵1つといえそうですね。昼間の川沿いにはあちこちで着替える釣人の姿や川に下りて水遊びする子供達の声、夜が深まれば人工的な雑踏などない自然の音が聞こえ静かに夜が更けていく。そんな田舎の夜を楽しみたい方は月刊紙「さとのこ」にも記載させていただいた街道にある宿泊旅館がおすすめ。
鮎料理が人気の料理旅館「準坊池」https://takaminecloud.mizunoinfo.com/4DCGI/JUNB/
街道の老舗割烹旅館「上見屋」https://agemiya.jp/
日本料理「とこわか」https://agemiya.jp/tokowaka.html
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姉妹店つけちばちゃんちや付知峡付近にはキャンプ場もあります
こんな時代こそノスタルジックな時間にひたるのもいいのでは。